Shige's memory
■新島 襄旧邸
新島襄旧邸外観

京都市指定有形文化財である「新島 襄」先生の旧邸。
新島先生がここに居住されたのはほぼ10年間といわれています。この私邸は教会堂を兼ね、新島先生の在世中は書斎の図書を生徒に利用させ、応接間は大学設立資金募金運動の事務所になるなど、1階はほとんど公的施設として活用されていたとのことです。
新島先生の永眠後(1890年1月23日)は、八重夫人がお茶の師範をしながら1人で居住されていたが、1907年に土地・家共に同志社に寄付、その後八重婦人の永眠後(1932年6月14日 88歳)は暫らく管理を兼ねて人が居住した。


書斎書斎

私邸は、コロニアルスタイルの洋風建築に属するが、基本は和風の手法が用いられ、日本人の設計により、日本人のために建てられた椅子座生活の住宅として、また、「同志社創設者新島 襄」の住宅遺構としてその価値が高く、1985年に京都有形文化財に指定された。同時に、明治初期の洋家具、和家具も現存し、併せて指定されている。


新島襄先生が使用されていたオルガンを演奏

当日(日曜日)にはご高齢の方が、新島 襄先生が使用されていたオルガンを演奏。周りには同窓と思われる人生の諸先輩方が昔を懐かしむように音楽に聴き入っていました。
在学中には一度も足を踏み入れたことがなかったのですが、卒業18年目にして初めて新島先生の私邸を訪ねることが出来ました。
また、当日はハリス理化学館2階において「函館からボストンへ−新島 襄“脱国140周年”記念展−」を開催中で新島先生の遺品、直筆による学習用のノートなど数多くの歴史資料を見学することが出来ました。