京都市指定有形文化財である「新島 襄」先生の旧邸。
新島先生がここに居住されたのはほぼ10年間といわれています。この私邸は教会堂を兼ね、新島先生の在世中は書斎の図書を生徒に利用させ、応接間は大学設立資金募金運動の事務所になるなど、1階はほとんど公的施設として活用されていたとのことです。
新島先生の永眠後(1890年1月23日)は、八重夫人がお茶の師範をしながら1人で居住されていたが、1907年に土地・家共に同志社に寄付、その後八重婦人の永眠後(1932年6月14日
88歳)は暫らく管理を兼ねて人が居住した。 |