Shige's memory
■諏訪大社 御柱祭
木落とし風景木落とし風景

天下の大祭 御柱祭。
6年に一度、寅と申の年の春に行われる諏訪大社の例祭。単純素朴で豪快な祭で天下の大祭の一つに挙げられている。八ヶ岳の山中および霧ケ峰山麓から樅の大木を切り出し、諏訪大社の社殿四隅に建てる行事。
諏訪大社は、上社、下社に別れ、上社は本宮と前宮、下社は春宮と秋宮に分かれるため、総計16本の樅の大木を建てる。長さ約17m、重さ12〜13tの大木を根元から切り倒し、テコと綱の人力だけで運び出す。
木遣り唄が歌われ、千人からのひき子(氏子)が引く。途中、崖から落とす木落としや川越しなどがあり、危険極まりない。最後の柱建てでも鈴なりの人で、死傷者を出すこともある。御柱は日本の神と祭の原点といえる。


メドデコメドデコ

「山出し」「木落とし」「川越し」
御柱祭と言って思い浮かぶのが、ニュースなどの映像で知られる急坂を柱と転げ落ちる「木落とし」であろう。
実は「木落とし」は祭のごく一部。2年前からふさわしい木をスカウトする「見立て」から始まり、祈願祭、山から伐り出す「山出し」、人力のみで里へ曳く「里曳き」、最後に神域の四隅に建てる「建て御柱」までの行事すべてをさす。
上社では、地区ごとの氏子がどの柱を曳くかを「抽選」で決めており、本一(本宮一之柱)を引き当てるため、氏子は新年から抽選までの約2ヶ月、毎日4時に諏訪大社へ祈願と寄進を行うとのこと(下社の場合、地区により曳く柱が決まっている)。


川越し風景川越し風景

上社の「山出し」は3日間行われ、見せ場は、「木落とし」と「川越し」。
御柱の前後にメドデコと呼ばれるVの字型の木を取付、揺すりながら曳き回す(下社には「川越し」およびメドデコはなく、傾斜35度100mの「木落とし」が最大の見せ場であり、毎回のように死傷者が出る)。
上社の「木落とし」は傾斜30度50mの坂を中日(4/3)に本一、前一、本二、前二の順で4本、最終日(4/4)に本三、前三、本四、前四の順で残り4本が落ち、「川越し」に向かう(下社の「山出し」「里曳き」はそれぞれ上社の一週間後)。
「川越し」は別名、御柱洗いともいわれ、雪解け水を集めて流れる冷たい宮川の水で、御柱を洗い清める。


参加者の感想

「とにかく驚くことばかり」。
歴史や祭の概要説明を受けたにも関わらず、すべてがとまどうことばかり。知っていると、体験との違いを痛いほど感じさせられました。

上社の本宮一之柱(通称:本一)の「山出し」曳行に参加。境内に運ぶまでは氏子の仕事であり、通常は一般の人は参加できない。

御柱の前に元綱2本と後ろに追掛綱1本を付け曳行し、場所にもよるが元綱の長さは100〜200mにもおよぶ。今回、元綱の御柱から50mぐらいの絶好の場所を氏子でもない者が曳かせていただいた。

本一はすべての御柱の先頭をきって、「木落とし」「川越し」を行うだけでなく、御柱の中でも一番格が上とされている。

中日は朝8時に曳行を開始、50m足らずでいきなり傾斜30度の「木落とし」場所。メドデコが破損するアクシデントもあり、「木落とし」を終了したのが10時30分ごろと、全工程2kmあまりの距離を朝の8時から夕方5時まで9時間かけ、とにかくゆっくり曳行。

その間、曳き手は狭い斜面に体をぶつけ合い、綱に振り回され、御柱が斜面を落ちるときは綱も一気に進むため将棋倒しになることもあり、中央線の高架下では通路に氏子がすし詰めで身動きがとれなくなったりと、中に埋もれてしまうと状況がまったく分からない。自分の意志では身動きがとれず、御柱の綱にもてあそばれるだけでなく、人波に飲み込まれることもしばしばで、オーバーに言うなら人生の縮図を感じさせる状況であった。

氏子にとっては6年に一度の大祭であり、2年も前から準備を進め、本番に備えるため気合が違う。

毎回、死傷者がでるが、氏子は御柱で死ねれば本望と言われている(寄進も家柄によっては数千万であったり、御柱定期預金があったり、また祭のときは企業も休日という。確かに帰りのタクシーで街中を走ったが、車も人もほとんど見かけない)。

とにかく氏子の祭であり、観光や商売は意識されていない(観光ポイントなどは紹介されているものの、危険防止を目的にロープが張られる程度で、観覧席を設けるなどの特別な設備はほとんど見られない。ただし、地元の企業単位で周辺民家を借り切ったりするなどで桟敷席を設けている)。

排他的であるかというとそうでもなく、曳行する人は氏子か、もしくは氏子の関係者であるという考え方からか、親切に手助けをしてくれる。

また重機はもとより、無線や情報機器も一切使用せず、昔の形態をそのまま単純素朴に守られている。

元綱の先端と御柱で200m以上離れていても、木遣り、旗の合図および伝令で行っている。 情報機器を使えば効率的で、より安全と考えるが、氏子にはそんな考えは毛頭ないように思われる。自らの手で手間隙かけることによって、巨木を自らの神へと導くと氏子の遺伝子に記されているように感じた。

最近、スローライフがもてはやされているが、参加することにより、ゆったりと本質を見極めた充実した時間に触れたような気がした。

今回のshige's memoryはM.Gotoさんの体験談を掲載させていただきました。