参加者の感想
「とにかく驚くことばかり」。
歴史や祭の概要説明を受けたにも関わらず、すべてがとまどうことばかり。知っていると、体験との違いを痛いほど感じさせられました。
上社の本宮一之柱(通称:本一)の「山出し」曳行に参加。境内に運ぶまでは氏子の仕事であり、通常は一般の人は参加できない。
御柱の前に元綱2本と後ろに追掛綱1本を付け曳行し、場所にもよるが元綱の長さは100〜200mにもおよぶ。今回、元綱の御柱から50mぐらいの絶好の場所を氏子でもない者が曳かせていただいた。
本一はすべての御柱の先頭をきって、「木落とし」「川越し」を行うだけでなく、御柱の中でも一番格が上とされている。
中日は朝8時に曳行を開始、50m足らずでいきなり傾斜30度の「木落とし」場所。メドデコが破損するアクシデントもあり、「木落とし」を終了したのが10時30分ごろと、全工程2kmあまりの距離を朝の8時から夕方5時まで9時間かけ、とにかくゆっくり曳行。
その間、曳き手は狭い斜面に体をぶつけ合い、綱に振り回され、御柱が斜面を落ちるときは綱も一気に進むため将棋倒しになることもあり、中央線の高架下では通路に氏子がすし詰めで身動きがとれなくなったりと、中に埋もれてしまうと状況がまったく分からない。自分の意志では身動きがとれず、御柱の綱にもてあそばれるだけでなく、人波に飲み込まれることもしばしばで、オーバーに言うなら人生の縮図を感じさせる状況であった。
氏子にとっては6年に一度の大祭であり、2年も前から準備を進め、本番に備えるため気合が違う。
毎回、死傷者がでるが、氏子は御柱で死ねれば本望と言われている(寄進も家柄によっては数千万であったり、御柱定期預金があったり、また祭のときは企業も休日という。確かに帰りのタクシーで街中を走ったが、車も人もほとんど見かけない)。
とにかく氏子の祭であり、観光や商売は意識されていない(観光ポイントなどは紹介されているものの、危険防止を目的にロープが張られる程度で、観覧席を設けるなどの特別な設備はほとんど見られない。ただし、地元の企業単位で周辺民家を借り切ったりするなどで桟敷席を設けている)。
排他的であるかというとそうでもなく、曳行する人は氏子か、もしくは氏子の関係者であるという考え方からか、親切に手助けをしてくれる。
また重機はもとより、無線や情報機器も一切使用せず、昔の形態をそのまま単純素朴に守られている。
元綱の先端と御柱で200m以上離れていても、木遣り、旗の合図および伝令で行っている。 情報機器を使えば効率的で、より安全と考えるが、氏子にはそんな考えは毛頭ないように思われる。自らの手で手間隙かけることによって、巨木を自らの神へと導くと氏子の遺伝子に記されているように感じた。
最近、スローライフがもてはやされているが、参加することにより、ゆったりと本質を見極めた充実した時間に触れたような気がした。 |