Shige's memory
■蓼科テディベア美術館
ゲストを迎えるミンミゲストを迎えるミンミ

世界最大、総計7000匹の「テディベア」の世界−白樺湖蓼科テディベア美術館。
館内は、ロイヤルウェディング・世界平和会議・ベアたちの旅立ちを含む、18ブースに分かれている。


世界テディベア平和会議世界テディベア平和会議

他には、「動物の楽園」「砂漠と石油のロマン〜サウジアラビア〜」「女王陛下の国」などのテーマで展示にも工夫が凝らしてあり、とてもドリーミーである。


ベアたちの旅立ちベアたちの旅立ち

最近では、『ミオン(MION)&ミンミ(MINMI)』というオリジナルのキャラクターのテディベアも誕生し、館前でユーモアたっぷりに来場客を楽しませてくれる。スーベニアーショップでは、ドイツ・イギリスからシュタイフ社、メリーソート社など世界有数のテディブランがそろっている。また、館内を入った左手には、自分だけの誕生日を刻んであるテディベアーも飾ってあるので、友人・知人・恋人などへのプレゼントにも良いかも…。


■テディベアについて…

テディベアについてはあまり関心がなかったのですが、今回のアップに伴い、名前の由来や歴史などを調べてみました。ご興味の方はご参考までにお読みください。
テディベアの誕生の歴史には、米国説と独国説の双方があるようです。また、何を基準に「テディベアというのか?」も関心事となりました。

1) テディベアの誕生 〜米国説〜
I . 発音は「te-dE-ber」。今から100年以上も昔の1902年11月 米国26代大統領セオドア・ルーズベルトが米国南部のミシシッピー州に州同士の紛争を収めに来ていた時の事、余興にクマ狩が行われました。しかし、残念ながら大統領が何の収穫もなく戻ったところ、お供の者が大統領の面目を潰さぬよう気を遣い、生け捕りの小熊(気に縛り付けてあったとのこと)を撃つようにお願いしたが、大統領は断固拒絶し、その小熊を逃してやったのです…。
II . この逸話を聞いた、政治漫画家の「クリフォード・K・ベリーマン」がその4日後に、ワシントンポスト紙にこのストーリーの漫画を掲載しました。
III . これを読んだ、当時、ニューヨークのブルックリンで駄菓子屋(玩具店)を営んでいたロシア移民のモリス・ミットム氏(夫妻)にアイディアが浮かびました。『クマのぬいぐるみに「テディ(ルーズベルトのニックネーム)」と名付け、発売しよう』。そして、この考えを実現するため大統領に手紙を書き、ニックネームを使うことを了承してもらったのでした。このアイディアは見事にヒットし、ミットム夫妻のお店はベアを生産する会社「アイディアル社」を興すまでに発展したのでした。
2) テディベアの誕生 〜独国説〜
I . ほぼ同じ時期の1902年、ドイツ南部のギーンゲンに位置する有名なぬいぐるみメーカーの老舗「シュタイフ社」がクマのぬいぐるみを作り、これを米国に輸出し、これがヒットし大きな売上につながった。これが、テディベアの起源と唱える説もあります。
II . 世界で最初のテディベアを作ったといわれているのが、シュタイフ社のマルガレーテ・シュタイフ(女性)だと言われています。
III . このぬいぐるみを、彼女の甥の一人、リヒャルトが本物のクマに見えるよう、モヘア製で、手足が自由に動くように作り、当時では画期的なものとなりました(手足が長く、鼻が尖っている)。しかし、マルガレーテは生産コストの高さに製造の続行を迷いました。しかし、「子供たちにこそ最高の物を与えたいという信念」が彼女を決断させ、5年後には年間975,000体を生産するまでになりました。
3) その他
一般的に正統派のテディベアと言われているものは、「モヘア製でフルジョイント(頭・手・脚がジョイント)で動き、目はグラスアイやボートボタンで出来ているもの」だそうですが、正確な定義づけをするのは難しいようです。
当初、欧米ではこのテディベアのぬいぐるみは男の子用のおもちゃとして考えられていたことは、あまり知られていないようです。
世界40カ国で翻訳されている「クマのプーさん」もテディベアで、イギリスの作家アラン・アレクサンダー・ミルンが一人息子のクリストファー・ロビンとそのぬいぐるみ達をモデルに書かれた話で、中でもテディベアのプーさんはロビンのお気に入りだったそうです。ちなみに、このテディベアは母親のドロシーがロビンの1歳の誕生日にプレゼントしたものだそうです。また、ロビンはこのテディベアを"Winnie the Pooh"と名づけました。
現在、このぬいぐるみは、ニューヨーク公立図書館の分館 Denenell Liberty に展示されているそうです。
www.t-bear.net