■World of Coca-Cola in Atlanta

ジョン・S・ペンバートン博士

世界200ヶ国以上で販売、300を越すブランド、650の言語によるマスマーケティング、180カ国の貨幣によって1秒間に14,321本が世界中で飲まれている世界最大のソフトドリンクメーカー「コカ・コーラ社」。ビジネスの中核は「濃縮液やシロップ」の販売等です。
1886年(明治19年)アメリカはジョージア州アトランタがこの物語の発祥の地です。
生みの親は、ジョン・S・ペンバートン(上記写)博士。彼は薬の製造・卸売業を営んでいた薬剤師でした。これは有名な話ですが、博士がこの原液となるシロップを 発見した後、ソーダファウンテンで人気の飲物となるわけですが、ある時店員がうっかり間違えて「シロップを炭酸水で割り氷を入れて」お客に出したところ、これが人気を博し現在に至ったわけです。世界地域別の消費量(対売上比)は、
@ ヨーロッパ・ユーラシア 22% (1人当たり1週間に2本以下)−12億人
A アジア・太平洋 17% (1人当たり2週間に1本)−33億人
B アメリカ・北米・カナダ 30% (1人当たり毎日1本以上)
C ラテンアメリカ 25% (1人当たり最高の消費量)
D アフリカ・中東 6% (1人当たり2週間に1本)
日本人にとっては、カロリーが気になるところです。一方、今後爆発的な消費量が期待できる中国はかなりのマーケットに成長しそうです。また急成長中のメキシコではフレスカ・フルー ツフレーバーが人気です。

フランク・ロビンソン氏ロバートウッドロフ氏ロバートウッドロフ氏

コカ・コーラのロゴはペンバートン博士の友人で経理担当のフランク・ロビンソンによって生まれました。その後、様々な改良が行われ、ロバートウッドラフ氏によってコーラの販売は世界各国へと広げられました。この間には、1916年 コンツアーーボトルの登場、1924年 6本入りのカートンケース、1955年には「缶」が登場しました。
噂に聞く話が、コーラのボトルは「女性のボディーのイメージ」ではないかとも言われていますが、当時は模造品が多く出回り、差別化のために独特のスタイルを造ったそうです。1960年4月には連邦特許庁に認められ商標登録されました。特に暗い場所でも触ったら判別できるように…

1900年頃までのハチソンタイプ・1916年までの垂直ボトル・その後のコンツアーボトル・6本収容のカートンケース 1900年頃までのハチソンタイプ・1916年までの垂直ボトル・その後のコンツアーボトル・6本収容のカートンケース

コカ・コーラ博物内 コカ・コーラ博物内にはソーダファウンテン時代のバーンズ・ソーダ水売り場があり、当時の様子を実演したり40種以上の世界各国のコカ・コーラを試飲できるコーナーもあります。

Tony C.Martinez氏Tony C.Martinez氏

ブランドマーケティングの先駆者としても世界有数の名門コカ・コーラ社。 創業以来118年余りの歴史の重みを感じると同時に、潮流に合わせてその時代時代を生き抜いてきた知恵とエンタープライズや気骨あるチャレンジ精神を体感するこ とができた。 日本もCSと叫ばれて久しいが、コカ・コーラの歴史・マーケティング戦略を学習すると、コーポレートカラーの「レッド」に始まり、ロゴの変遷、ボトルケースの開発、商品の多様化、同時に市場で認知を得るためのコマーシャルやオリジナル商品の開発など、ありとあらゆる面で「ブランド戦略のお手本」であると感じました。博 物館では子供が遊べるコーナーから大人も楽しめるエリアなど、隅々まで行き届いた心配りができている。写真は国際マーケティングに30数年携わってこられたトニー氏。創業者一族の末裔。
人間が一日に必要とする水分が1.9g対して、「現在コカ・コーラは2%程度の供給しか行われていないのでこれを大きなチャンスと捉えている」とは発想が前向きで素晴らしい。

最後にコカ・コーラ社の理念(The Promise)を紹介します。
  Everyone Who is Touched by The Business of Coca-Cola will benefit.