■島根県「出雲大社」

拝殿拝殿

年間200万人をこす人々が全国から、縁結びの神、福の神として名高い出雲大社を訪れています。日本で一番古い神社建築様式の一つである大社づくりの本殿は、国宝に指定されており、屋根にそびえる千木の高さは25mといわれています。
「国譲り」や「因幡の白うさぎ」など神話の主人公として知られる大国主大神(おおくにぬしたいしん)を祭る神社。神話によると、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が大国主大神のために壮大な神殿を建造して与えたのがはじまで、祭神は縁結びの神様として知られ、社会の発展や人間の暮らしのためにさまざまな縁をとりもっている。

本殿本殿

旧暦の10月には全国八百万の神々が出雲大社に集まって神議をするとされ、そのためここ出雲では「神無月」を「神在月」と呼ぶ。また、出雲大社では参拝方法が独特。
一般には「二拝(礼)、二拍手、一拝(礼)」、だが、ここでは「二拝(礼)、四拍手、二拝(礼)が正しい。

「神迎行事」

稲佐の浜 神迎え神事稲佐の浜 神迎え神事

旧暦十月十日(2004年は11月21日)神在祭の前夜、出雲大社から1キロほど西に向かった稲佐の浜で、神迎神事が行われる。稲佐の浜の砂の上には、4本の笹竹を立てて注連縄を張って囲った神迎神事の祭場がつくられている。その周囲には、夕暮れ前から人々がぎっしりと集まっている。波打ち際近くには4つのかがり火が迎え火として焚かれている。地元の氏子はじめ全国から三千人もの参拝者が集まるというが、それだけ大勢の人が皆押し黙り、ただ、ザザーという波の音だけが聞こえる。緊張感が漂い、この祭りならではの厳粛さが増す。
波に向かって置かれた祭壇には、二つの神籬(ひもろぎ)が置かれ、左には祓具、右には三方に龍蛇神が奉納されている。夜7時、伶人たちが奏でる笛と太鼓の音とともに、提灯が導かれ、神迎神事を執り行う出雲大社・教統以下人余の神職が祭場内に入場してくる。教統が神々をお迎えする祝詞を奏上すると同時に、神職の「オー」という低い声が響神々の到来を告げ、あたりを戒める声だ。

「神迎祭」

出雲大社神楽殿は、「神迎祭」を行うべく宮司すべての神職が待機している。八時半ごろ、神々の宿る神籬が宮司に受け渡され、祭壇に奉安される。宮司が神々のご到来を祝う祝詞をあげる。参拝者の玉串拝礼が終ると、神籬は境内の東西両側にある十九社に奉安され、神迎祭は終了する。翌十一日から七日間、神々はこの十九社を御旅所とされる。

「神在祭」

旧暦十月十一日〜十七日(2004年は11月22日〜28日)旧暦十月(神無月)は、出雲では神在月(かみありづき)と呼ばれる。出雲大社に全国から八百万の神々が集われ、一年間の縁組や世事などを神議されるからだ。旧暦十月十一日からの神在祭の期間中、本殿前の八足門内の西回廊に龍蛇神が奉安され、東と西の十九社、そして、神々の会議所となる稲佐の浜近くの上宮において、お供えを捧げて祝詞を奏上する神事が行われる(東・西十九社祭、上宮祭)。

神在祭の最終日、お帰りになられる神々をお送りする儀式が神等去出祭(からさでさい)。
夕方四時、東と西のそれぞれ十九社に奉安されていた神籬を拝殿にお迎えして、小さな餅をたくさんお供えし、祝詞をあげる。祝詞が終ると、神職が再び「オー」というあたりをいましめる声をあげ、本殿正面前の楼門に待機する神職が「お発ち!お発ち!」と叫びながら、楼門の扉を三度叩く。神々はこの瞬間、出雲大社をお発ちになる(出雲出国は旧暦十月二十六日)。

今回のshige's memoryは現地に行かれたT氏によるものを掲載いたしました。