■東大寺二月堂「お水取り」

古都に春を呼ぶ行事として知られる東大寺二月堂の「お水取り」は、正式名称を「修二会(しゅにえ)」と言い、大仏開眼の752年に始められ、1,250年以上にわたり、絶えることなく行なわれてきた。修二会は、連行衆と呼ばれる11人の僧が、二月堂の本尊である「十一面観世音菩薩」に、人間の罪を懺悔し、人々の幸福や天下泰平を祈る行事である。
修二会全体を表す俗称を「お水取り」というのは、昔、神名帳を読み上げている時にある神様が遅刻してしまい、そのお詫びに若狭のきれいなお水を献納した故事に由来し、二月堂下にある若狭井(わかさい)という井戸から香水を観音様にお供えするところから来ている。
修二会は、2月20日から28日までの前行と、3月1日から14日までの本行に分かれる。前行は、普段の生活を断ち、次第に心身を浄化していく期間である。本行では、午後1時頃に二月堂へ上堂し、日中・日没の懺悔法要を行い、一旦は下堂するが、午後7時に再び二月堂へ上堂し、夜間の懺悔法要を行う。写真でよく紹介される、二月堂に火が踊る光景は、午後7時過ぎに上堂する連行衆の足もとを照らす「たいまつ」が儀式化されたものである。人々は競って、たいまつから振り落ちる火の粉を浴びて、無病息災を願う。
懺悔法要はこの他に、板に体を打ち付け懺悔の気持ちを表す五体投地(ごたいとうち)、堂内でたいまつを打ち振り、引き廻す達陀(だったん)などがある。
大たいまつは、全部で11本用意され、1人が肩に担いで二月堂に持ち上げるが、たいまつ部分の重さとのバランスを取るため、たいまつの末尾に重しを取り付けている。
人々が歓声を挙げる中、勢い良く炎を上げる大たいまつは、二月堂へ向かう回廊をゆっくりと登っていく。建物に類焼するのでは、と不安を抱かせるほどの火の勢いである(実際に火事になったこともあるとのこと)。
人々は、大たいまつに点火される2時間以上前から、寒さに震えながらひたすら待っている。年配の女性グループが目立ち、祭り特有の華やぎが人々の話や動きに感じられる。

■感想
「お水取り」が始められたのは752年。「大化の改新」から100年余が経過し、ようやく律令国家としての体制が整えられてきたころである。当時の仏教は、遣隋使や遣唐使が持ち込んだ経典を研究し、大陸文明の産物を日本に植えつけようとしていたと思われる。人々の宗教意識は、いまだ日本古来の神道にあり、新しい仏教と神道は共存していた。
「お水取り」は、その頃の仏教のあり方を今に伝えるものである。仏教行事でありながら、たいまつの「火」、若狭井の「水」が主役となるところに、神道の習俗を取り入れ、土着化した仏教の姿がうかがえるだろう。
釈尊は、人生で起こる苦の認識を出発点に、悟りを開き、苦からの脱却を目指した。その意味で、仏教は人間的な苦悩に応えようとしており、現代に通じる普遍性がある。これに対し、神道は自然の力それ自体を信仰の対象とする。神道には、飾らない素朴さ、古代的な原初の力が宿っている。
「お水取り」は、律令国家創成期の仏教の姿を伝える行事であると共に、神道の習俗を取り入れ、古代からの息吹を今に伝える祭りであると言える。

今回のshige's memoryは山村氏に多大なるご協力を頂きました。