高輪台地に位置する元岩崎家の別邸。1889年に岩崎久弥がこの地を購入、1900年には岩崎弥之助が譲り受けたそうです。その際、和風邸宅と釈迦堂も移築し1908年にほぼ完成したとのことです。岩崎弥之助が最晩年を過ごした後、岩崎小弥太が昭和13年、当時の三菱社へ来賓の接待と社友の交友の場として提供しました。太平洋戦争により多くの部分が焼失しましたが、戦後修復が進められ、外観の原型を残したまま、内部の改装を経て写真の様な姿をとどめているそうです。